育てるという言葉の奥の〝支配〟
子育てでも選手の育成でも、育てるという行為の中には、時として「コントロール」や「支配」が紛れ込むことがあります。
相手のためを思っての言葉や行動も、気づかぬうちに自分の安心のためだったり、「こうあるべき」という理想を押しつけてしまうことがあります。
子供や選手に「こうすればうまくいくよ」「これはやらない方がいいよ」と言いたくなる気持ちは当然ありますが、その“良かれ”の裏に、自分の価値観を当てはめていないか――一度立ち止まって考えることも大切だと思います。
相手を信じて任せる。黙って見守る。
その方がよっぽど難しい。だって、結果が出るか分からないし、目の前でつまずく姿を見るのは辛い…。
でもそこで手を出してしまえば、主体性や成長の芽を摘んでしまうこともあります。
僕は〝のびのび〟が好きです。
選手も子供も、自分らしくのびのびやっているときが一番輝いている。
その姿をただ見ていることこそ、「育てる」ではなく「育つを信じる」ことなのかもしれません。育てるとは、コントロールすることではない。
信じて、任せて、待つこと。
育てる側に必要なのは、手放す勇気なのかもしれません。



